【レポート】福島県広野町 鹿嶋神社浜下り祭「たんたんぺろぺろ」2019 第三部(当日)
マツリテーター見習いの今場(こんば)です。
ここまで、福島県広野町の鹿嶋神社浜下り神事について、2回にわたって紹介してきました。
今回の第三部がその最終で、いよいよお祭り当日です。
当日準備〜着替え
前日は遅くまで宴が続きましたが、朝は9:00の集合です。
余談ですが、私はこの時点で自前の祭着(ダボシャツ+半股引+地下足袋)を装備して集合場所に向かったのですが、いざ到着するとこれが現実。
あれ、まだ着替えるの早かった。
写真 お祭り当日の集会所前。前日よりも多くの人数が集まっています。
集会所前には、前夜祭の参加者よりも多い人数が集まっていました。
青年団は、担ぎ手の人数として20名は確保したいということでしたが、期待を上回る人数が集まっていたようです。
集合したらすぐにお祭り、というわけではなく、当日に行うべき準備作業が残っているようです。
それは、神輿が通ることになる沿道に、最後の仕上げを行うこと。
写真 飾り付け作業の様子。撚られた縄に、うまく紙垂を挟んでいきます。
前日と同じように軽トラの荷台に乗り込み、駅前通りに向かいます。
到着すると、前日に設置した、竹同士をつなぐ横縄に、“紙垂(しで)”を垂らしていきます。
紙垂は稲妻や雷光などを表現し(諸説あるようです)、飾ることに宗教的な意味合いを持つがゆえに、前日の作業に含めるわけにはいかないのと推察されます。
この作業が終わると、集会所で着替えを開始します。
写真 集会所内での着替えの様子。浴衣を着てから、半纏を羽織ります。
担ぎ手の正装は、
・半股引(はんだこ)
・足袋(地下足袋)
・浴衣
・帯
・半纏(法被)
・ハチマキ
で構成されており、一式すべてを貸していただくことができました。
※なお、マツリズムの2名は、カッコつけるため、半股引・足袋については私物を持参しました。
東北という気候のせいか、浴衣を着た上に半纏を羽織るという点が珍しいように感じます。
参加者として嬉しかったのは、衣装の上では地元の人間と外部の人間が分けられていないことです。
このことがなぜ嬉しいかと言えば、担ぎ手すべてが同じ衣装を身にまとうことになるので、「自分も今はまちの一員なのだ」という意識を強く持つことができるからです。
写真 衣装への着替えが終了直後。出発の時間を待ちながら、飲酒。
この日のために広野町に集った担ぎ手が、揃いの衣装で輪になって、卓を囲みます。
町内に住んでいるか住んでいないかは関係ありません。この瞬間はすべて下浅見川地区、鹿嶋神社の氏子です。
そう、期間限定ではありますが、町の一員になれたということです。
そんな状態を表しているこの写真、実は今回のお祭りで1、2を争うくらいに気に入っています。
出発前神事〜神輿巡行開始
神輿はの巡行開始は11:00から。
それに先立って、鹿嶋神社のお社にて、出発前の神事が執り行われます。
写真 神輿出発前の神事が行われている鹿嶋神社。
この鹿嶋神社、2011年の震災時には津波も被ったと聞きます。
そのせいか、昨年2018年に鳥居を再建しています。
※Googleストリートビュー(2013年時点)との違いがわかります
写真 再建された鳥居とその前に広がる光景。
余談ですが、この鹿嶋神社が立地しているのは、集会所よりもさらに海に近い場所。
境内に登って海側を見ると、震災の爪痕をより生々しく感じてしまいます。
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お神酒が振舞われるまでは、担ぎ手は境内に入らず階段の下で待機していました。
この時間が、担ぎ手同士のコミュニケーションが特に盛り上がっていた時間帯だったように思います。
出発前のオフショットをご紹介します。
写真 下浅見川地区青年団長と駅前青年団長。お祭り復活の立役者です。
団長のお二人は、厳密な担ぎ手ではなく、神輿の進行を管理する立場。
ですが、写真でわかるように、日本酒を担ぎ手に飲ませるという大役(?)もお持ちです。
写真 ”花”と呼ばれる道具を掲げる出向職員の方。
自治体職員の方が担ぎ手の最前線にいるということも特徴的です。
また、この”花”と呼ばれる道具は、昨年はなく、今年からの復活ということ。
来年は子ども神輿を復活させ、祭りの形を少しずつ元に戻していきたいと仰っていました。
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満を辞して、出発時間を迎えます。
正式な出発場所は、神社正面ではなく、100mほど移動したところから。
出発前に、担ぎ手全員の集合写真を撮影しました。
写真 神輿巡行開始前の集合写真。20人以上の担ぎ手が集まりました。
繰り返しますが、この時点で自分が”東京から参加している”であるという余所者意識は限りなく薄まっています。
集まってきた担ぎ手のみなさんが、様々なバックグラウンドを持って参加していることがわかったのです。
そんな一同とこの日この瞬間を共に過ごせること。
そしてそのことで、広野町の下浅見川地区に何らかの良い影響をもたらすことができているような気がして、どこか誇らしい思いすら抱き始めていたように感じます。
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さて、神輿の出発です。
写真 笑顔の神輿巡行。
写真 担ぎ手の誇りと笑顔。
全国各地で、神輿を担ぐ形式に少しずつ違いがあるのが面白い点です。
広野町の神輿の動きは、水平移動が基本。
肩への載せ方は他地域と変わらず、担いだ状態で”歩く”ようなイメージです。
したがって、移動速度は比較的速くなります。
途中の神事を除いて、休憩のために神輿を下ろすということは基本的にありません。
一方で、都内では、担ぎながら上下運動をする神輿が多いかと思います。
常に爪先立ちで、全体の上下運動に対して身体のリズムを合わせられないと肩の衝撃が続きます。そして、そもそも移動スピードがきわめて遅い。
“魅せる”神輿ですが、疲れる担ぎ方。それゆえに休憩が多くなるのでしょう。
神輿巡行道中
写真 神輿を笑顔で迎える沿道の人たち。担ぎ手として胸が熱くなる瞬間です。
神輿は、まちの宝です。
神輿を担いでいると、巡行の様子を一目見ようと、路傍に自然と人が集まってくれます。
こちらの神輿には賽銭箱がくくりつけられており、沿道の方々はそこにお金を入れてくださいます。
お金が入ると、担ぎ手も、神輿の”揉み”で応えます。
写真 神輿を揉む様子。大きな上下運動で、沿道の方々も喜んでくださいます。
笑顔でまちに受け入れられる、そんな嬉しいことはありません。
神社の近くを出発した神輿が、初めてストップするのが広野駅前。
そこでは町長や地元企業の役員などの立ち会う神事が行われます。
写真 広野駅前で行われる神事。地区ごとに供物が用意されます。
神事が終わると、神輿巡行が再開します。
本来は、駅前の神事の直前に大滝神社の神輿と合流し、2基の神輿が揃って、潮垢離のために海へ向かう慣習でした。
前述のように、様々な事情から、上浅見川地区の大滝神社では神輿がまだ復活できていません。
したがって、今年も鹿嶋神社の神輿が1基で、海へ向かっていきます。
潮垢離〜宮入り
写真 神輿の後半戦。いよいよ海へ向かいます。
写真 防潮堤を越え、海が見えてきます。
海が近づくにつれて、巡行の雰囲気がピリッとした雰囲気になっていくのを感じます。
それまでは「ワッショイ!ワッショイ!」と、どこか楽しく明るい巡行が、「いよいよ・・・」といった雰囲気に変化してきたのです。
広野町の復興事業によって高い防潮堤が築かれ、町から海が見えにくい状態になっていたので、かなり近づかないと海を感じることができません。
防潮堤の傾斜を登っていくと、初めて海が目に入ってきます。
4月で比較的暖かい日とはいえ、東北の海。
「ここに入るのか・・・」
と、生唾を飲み込みます。
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写真 潮垢離の様子①
浜辺に到着してから海へ入るまでの流れは、きわめて連続的で滑らかなものでした。
心の準備なく、気づけば海の中へ下半身が浸かっています。
潮垢離で求められる神輿の動作は、左まわり3回転、右まわり3回転です。
写真 潮垢離の様子②
海を進んでいくと、急に水深が変わる瞬間があります。
当たり前ながら水中では動きが鈍くなるので、ただ神輿を回転させるという動作でもかなり難儀なことがわかります。
加えて、さらに負担となるのは海水の温度。
4月なのでキンキンというほどではありませんが、数分で少しずつ足の感覚がなくなっていくことは恐怖でした。
自然と、担ぎ手達の表情がこわばります。
写真 潮垢離の様子③
事前に想定していた以上の過酷な環境。
大げさながら、ある意味で生命の危機を感じたことで、火事場の馬鹿力よろしく、生命力が向上する感覚もありました。
腹から力と声を絞り出す。
高まる一体感と団結力。
夢中の回転。
写真 潮垢離の直後、満身創痍の担ぎ手たち。
永遠とも思える潮垢離を終え、わかりやすく疲れ切った状態で浜辺に戻ります。
潮垢離を終え、びしょ濡れになった神輿を置き、ここでも神事が開始されます。
写真 潮垢離後の神事。バックには疲れ切った担ぎ手たち。
神事の間に、報道陣による担ぎ手への取材が行われていました。
以下の取材は、このタイミングで行われていたように記憶しています。
https://www.yomiuri.co.jp/local/fukushima/news/20190408-OYTNT50004
また並行して、担ぎ手同士で海に投げ込み合うシーンも。
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それから間もなく、神輿の宮入り。
この時点で15:00頃。
4時間程度ですが、本当に濃厚な時間でした。
その後集会所に戻って、室内に入る前に、玄関前に衣装一式を脱ぎ捨てます。
これがなかなか圧巻の画でした。
写真 集会所前に脱ぎ捨てられた衣装。このままクリーニング屋へ運搬されます。
お祭りはここまでです。
集会所で着替えの後、銭湯で身体を洗う方々、帰路につく方々、片付けを始める方々など。
あっという間に、しかしながら強烈な記憶とともに、鹿嶋神社の浜下り神事は終了したのでした。