【令和二年度ハレの日インタビュー】釜石まつり(岩手県釜石市)
日時 :令和2年 10月25日
話し手 :輿衆会(よしゅうかい)川畑さん、平野さん、四宮さん
聞き手 :一般社団法人マツリズム(大原、伊藤)、令和元年釜石祭り参加者(菅原、藤井)
目次 【 記事の内容 】
マツリズム:
釜石祭り交流イベントと題しまして、マツリズムとしても4年前からお世話になっている「輿衆会」の方々と、2018、2019年に学生で参加してくれた菅原君、藤井君の2人にも入って頂き、残念ながら今年に関しては一緒に御神輿を担ぐということはできなかったんですが、お祭りのことを話したり、来年に向けた交流ができる時間になればと思い、このような場を設定させて頂きました。
祭り中止のお知らせ。緊張の糸が途切れた。
マツリズム:
曳舟と神輿渡御が中止という形に決まったのはいつぐらいになるんでしょうか。
川畑:
尾崎神社祭典委員会というのがありまして、私自身祭典委員会の委員ではないので詳しいことはわからないのですが、伝え聞いた話によると9月の初め頃に決まったと伺っています。
マツリズム:
なるほど。その9月の初めに祭典委員会で決まったということで、それを聞いて輿衆会の皆様はどう受け止められたんでしょうか。
川畑:
個人的にはやはり、日本全国、世界各地で起こっているパンデミックと言うんでしょうか、コロナのすごい影響があるなということで、ねぶたや竿灯といった東北の大きな祭りが軒並み中止となり、このままいけば釜石まつりもその流れに習う感じかなというちょっと諦めのムードもありましたね。
マツリズム:
これまで中止になってしまったことはあるんでしょうか?
川畑:
台風の時ですね。確か平成19年のお祭りが台風によって中止になったと記憶しています。
マツリズム:
なるほど。平成19年以来というわけですね。台風の場合は直前まで準備をしていたと思いますが、こういった形でお祭りが中止になってしまったと言うことで、そのお祭りの日だけでなく、日常で失われてしまうものもあるのでしょうか。
平野:
私は御神輿を担ぎ始めたのが多分平成の6,7年くらいだと思うんですけど、当時は輿衆会じゃなくて船頭組合から職場の方に神輿の手伝いの要請がありまして、それで2年くらい担いだんですけど、「3年担げばいいよ」と言われて、3年目も担ごうかなと思っていたら仕事で参加できず悔しい思いをしたんですけど、その翌年からもまたずっと担ぎ続けてまして、祭りとなれば神輿を担いでお祭りに参加したいなという思いで今まで参加してきましたので、やっぱりずっと続いているものが出来ないというのはさみしい部分もあります。
マツリズム:
私も今年夏、秋と祭りがなくて改めて思ったのが、大きな声を出す機会が日常には無くて、一回一人カラオケをやってしまいまして、そういう溜まってしまうものってありますよね。四宮さんが頷いていらっしゃったので、そういう思いを伺ってみたいのですが、今年の夏、秋いかがだったでしょうか。
四宮:
そうですね。やっぱり今大原さんがおっしゃったように声を出す機会がないですし、あと神輿がドンッと骨に当たることで肩の骨が年々ちょっとずつ大きくなってきているんですよ。ドンっと担いだときの身体の痛みとか、大きい声を出すとか、あとは毎年(祭りでは)日焼けするんですけど、烏帽子をかぶっているというのもあって、おでこから下だけ焼けて職場の人に笑われてしまったりしたんですが、そういうのもないなって。あとはショッピングセンターは祭りの時期になると、足袋とか祭り関連の衣装を販売する祭りのブースが必ず毎年出来て、私はいつもそこで白い足袋を買ったりしてたんですが、今年はそこには近づかないようにしてましたし、やっぱり今年は売れ行きが悪いなと遠目に見ても感じるくらい色んな所に影響が出ているんだなと感じました。
マツリズム:
私もイオンの足袋コーナーで足袋を買っていました。近づかないようにされてたんですね。
四宮:
やっぱりどこか悔しいので、近づかないようにしてました(笑)
マツリズム:
それだけ祭りに対する思いが強いと伺っていて感じました。
同じような質問になりますけど、川畑さん、祭りのない夏秋過ごされて、個人としてどう思いましたでしょうか。
川畑:
本当に拍子抜けした感じというか、ずっと楽しみにしていたものが途切れてしまったというか、緊張の糸が切れてしまったと感じています。
マツリズム:
それをどうにか繋げていければな、と強く感じています。また今年は不透明な状況というのもありますので、(来年は)そこが何か見えてくるといいなとも思いますね。
大好きな釜石祭り、それぞれの思い出。
マツリズム:
釜石祭りに参加されていて一番楽しかったなぁとか、やりがいあったなぁとか思い出深い瞬間というのがあればそれぞれお話頂ければと思います。
四宮:
輿衆会に入会する前は、新日鉄釜石の関連部署で働いていたことがありました。その関係で山神社の神輿を担いだことがありました。その中で猿田彦をやって欲しいという依頼がありまして、いわゆる天狗さんの役ですね。大きい下駄を履いて、専用の衣装を着て、大きい槍を持って神輿の前を歩くという役なんですけど、そのときの思い出がすごい強烈に残っています。後はやはり輿衆会に入ってから、神輿を担いだり、去年ぐらいからは先導する側に私は回ってるんですけど、やはり毎年毎年良くも悪くもハプニングというのがあり、エピソードも語ればたくさんあるんですけど、やっぱり毎年の祭りに参加できて、喜びというか、思い出がたくさんありますね。
マツリズム:
平野さんいかがでしょうか。
平野:
震災の年にも神輿担ぎをしたんですけど、瓦礫や被災した建物があるなか、そしてシンフォニーという堤防に乗り上げた大きなタンカーの脇をみんなで担いだのがすごかったなと思います。それと、もっと若い頃は青出浜、奥の院*まで行って、そこから御神酒をあげて、そこから沢水を汲んでくるんですけど雨が降っていないとずっと下の方までいかなきゃ取れなくて、すごくキツかったですね。この間も奥の院まで掃除で行った際に、当時は走っていたんですけど、今じゃちょっと無理だなとそういう風に思っていました。
奥の院:
尾崎神社は現在、4社の神社から成り立っており、奥の院は、釜石湾を形成する東南端の岬、尾崎半島の青出の高地にある
マツリズム:
川畑さんはいかがでしょうか。
川畑:
私は曳舟祭りを見たのが小学校4年生だったと思うんですけど、やっぱりすごく感動しまして、いつか曳舟に参加してみたいと強く思いまして、それもあのお召し船に乗りたいなって思ってました。それが実現したのが、平成5年に船頭組合の手伝いで参加した釜石まつりだったんですけど、初めて奥宮に行きましたし、そして奥の院にも走者として抜擢されてそして奥の院に参拝して帰ってきて、それから釜石湾を(曳舟で)三周した。その時の思い出が1番強く心に残っています。
マツリズム:
やっぱりそうやって奥の院に行く役割を与えられて、お祭りをやり切ることは名誉なこだと、お二人の話を聞いて改めて思いました。
消えた町の賑わい。でも、そこから見えたもの。
菅原:
釜石に最後に行ったのが大学4年生の時の冬だったので、1年半ちょっとぐらい経つんですけど、今やっぱり町全体を見たときに、人が集まれないとか、三密による禁止とかあると思うんですけど、現在釜石はどういった感じなんでしょうか。
川畑:
釜石に限らずですが、飲食業の方は影響を受けていて、職場での飲み会も激減しましたし、スナック、バーなど、そういったところが一番しわ寄せ来ているのかなと思います。
マツリズム:
お祭り当日は、町は全くお祭りの様子がない感じだったんでしょうか。
川畑:
特にイベント等ございませんでしたので、普通の週末といった感じでしたね。賑わいはなかったように思えます。
藤井:
先週釜石に来て尾崎神社さんの方にもちょっと立ち寄ってみたんですがすごい暗くて静かという感じだったんですが、祭りのない当日はどのような心境だったんでしょうか。
平野:
静かだったというお話だったんですけど、宵宮祭の神事に参加させて頂いてですね、神事終わった後に年行司から始まり、虎舞、神楽の各団体が神様の前で演舞をしたのを全部見たんですがいい物(舞)を見たなという感じですね。
マツリズム:
宵宮の神事を全部見られたんですね。
平野:
各団体来て演舞していましたし、地元では門打もしていたと思います。
マツリズム:
なるほど。お祭り自体がなくなってしまうと悲しいですけど、その年だからこそ、中々気に掛けなかったことに気付くこととかもありますね。今日も虎舞、神楽の方々にお話伺ったんですが、どういう違いがあるのかなど、当日は忙しくて聞けなそうなことを深く知る機会になったのかなと思います。
平野:
各団体の演舞を全部見たので、団体によって太鼓のリズムって違うのかな、そうじゃないのかなとかそういうことを考えながら見てましたね。
菅原:
尾崎神社祭典委員会から釜石祭りは中止にしますという決定が皆さんに通知された感じと伺ったんですが、中止ですって言ったらみんな「そうか仕方ないね」となったのか、それとも反対の声とかが上がったりしたんでしょうか。
四宮:
その中止になったというのを、会員の方に伝達をしたんですけど、諦めきれない会員の方もおりまして、日曜日が市内渡御の日って決まってるんですけど、その日曜日に何かあるかもしれないからすぐに参加できるようにと、休みをとった方が約一名いらっしゃいました。暴動とかは起きてません(笑)
マツリズム:
準備されてた方もいらっしゃったんですね。ちなみに当日は宵宮があって、土曜日は神事自体はされたんですね。尾崎神社の方で。
川畑:
金曜日の夜に宵宮祭が行われまして、そして土曜日の11時に例大祭が行われました。そして午後に還幸祭と言って、御霊を返す儀式も行われましたが、これも尾崎奥宮の改修工事が大規模改修工事が始まったため、例年とは全然違って、8月ごろに宮司が奥宮から御霊を浜町の里宮に移されたと言うことで、宵宮祭は御霊が安置された形で執り行われました。そして、土曜日の13時に御霊を主立った方だけでお送りに行ったというわけです。これも異例ずくめのことばっかりでした。
釜石祭りを未来に繋ぐためにできること
マツリズム:
お祭りがない時期でもあるので、会員募集を来年に向けて頑張っているという話を伺ったのですが、輿衆会のメンバーを増やしていくために具体的に行っていることなどはあるんでしょうか。
四宮:
同級生を中心に声がけをしたりして、1人ずつ参加者を増やしていくという古典的な方法で私はやっていたんですけど、もう一人新聞社に勤めている会員がいらっしゃいまして、その方はSNSをバンバン使って、たくさんのお祭りに興味がある人に対して、釜石のまつり、沿岸のまつりに興味がある人はこの指止まれといった感じでメンバーを集めて、その方は来られなかった方もいるんですが10名近く集めていました。なので、古いやり方ではなく、その方を習って私もSNSを使っていきたいと思いました。
マツリズム:
そうやって色々な工夫をしながら頑張っていらっしゃるということですね。
四宮:
地元だけって言うのはやっぱりもう厳しくて、全然祭りに興味が無い人もいるし、後は知ってるけど入り口が分からないという人もいると思うんです。地元の人で固められれば一番いいんですけど、そうも言ってられないかなというのが私の中であるので、マツリズムさん含めて、祭りとかそういう地元の催しものに興味がある人は攫っていきたいなと思っています。
藤井:
外部から人を受け入れると言うことは、ヨソモノを受け入れるというわけですが、そういったことに対して、反対する人もいたりするんでしょうか。
川畑:
釜石市の出身者で神輿を担げればというのが私の理想ですが、現実的にはそれが実現できませんので大槌町だったり、マツリズムさんだったり他の方々の力を借りなければ、祭り自体が成り立たないって言うことも現実としてありますので、私としては市外の方であっても真摯に神輿を担いで頂ける方であれば大歓迎で、今後も受け入れたいと思っています。
藤井:
その祭りに対して真摯な気持ちがある方なら誰でも受け入れるといった感じでしょうか。
川畑:
六角神輿は1トンを超える凄い重さがあるものなんですけど、尾崎神社までの坂道を思い出して欲しいんですが、自分一人だけが歩いて行くだけでも大変なのに、御神輿を担いで登っていく、それは単なる義務感では出来ないと思います。義務感だけでやってる方は一年しか持ちません、そういう方はいっぱいいました。ですから神様をお運びしてるという崇高な理念を持たないとですね、坂というのは登り切れないと私は思います。
マツリズム:
地域の文化でもあり、神事というか、そこをしっかり尊重できる方であれば、釜石出身者じゃなくても是非一緒にやっていきたいというようなことを伺って、身の引き締まる思いでしたし、少しでも来年以降に向けて私達としてもお手伝いできることがあればと改めて思いました。
記事:藤井大地(マツリズム 学生インターン)